2025/01/11 13:08

私は物心ついた頃から吃りがあり、その為に度々、困難してきた。

ずっと、“吃音”というものは個人の人生において足かせでしかないと思っていたが、最近、「もしかしたら神様からのギフトかもしれない」と陽のエネルギーと捉える瞬間があった。

私は、はっきり言って”性格が悪い“。承認欲求の塊だ。周りの人が笑ってくれる事で自分の自尊心を保ち、気持ち良くなっているところがある。純粋な面もあると自覚しているが、その反面、醜いことばかり考えていたりする。人と自分を比べて精神的優位を持ったり、逆に人生上手くいっている人を見て酷い劣等感を感じ、また、別の人と比べて「あの人よりは恵まれている」と一時の身勝手な残酷さに甘んじている。以上の文章に何度、”自分“”私””自ら“が出てきただろう。結局、自分さえ良ければそれでいい、という生きるモチベーションなのだ。

内面の醜さ。それに反する少々の純粋さ。自分で自分は騙せない。もし、吃音がなかったら私はどうなっていただろう。きっと、もっと人に感謝なんかせず、他人の痛みにも人の優しさにも鈍感で些細な有難みにも気づかなかったんだろう。

吃音で困難して一人で泣いた分だけ、励ましてくれた人の温かい有難さを知った。欠けているところがあるから、一人では生きられないことも知った。心の指がささくれているから、人の悲しみに共感する能力がついた気がする。